一線陣地とは、一重構造の陣地形態を言う。具体的には、戦線に対して一重の散兵壕が横一線に構築され、後方の掩蔽部(本部・補給拠点など)と交通路で結んだ形態の陣地である。急ごしらえの陣地はこのような形態になる場合が多く、火砲や戦車、航空機などの兵器が発展した今日では強固な陣地とは言えず、長時間にわたって防御を維持することは難しい。日露戦争の初期においては一線陣地が用いられたが、その理由として機関銃や火砲の配備や精度が不十分であったことが挙げられる。ドイツ軍はかつて一線陣地を採用しており、フランス軍は一帯陣地を採用していた。しかし第二次世界大戦のシャンパーニュ地方での戦闘においてフランス軍の火砲にドイツ軍の一線陣地は徹底的に破壊され、一線陣地の限界を自覚し、次第に一帯陣地へと移行していった。
敷帯陣地とは一帯陣地をより面的に拡充した形態の陣地である。具体的には一帯陣地を横方向10kmに渡って連結しつつ後方にも第二、第三の一帯陣地を構築し、それぞれの陣地の交通路や散兵壕をネットワーク化したものを指す。このような陣地はシャンパーニュ地方、アラス方面のフランス軍の攻撃などを通じてドイツ軍は一帯陣地から敷帯陣地に移行した。これは砲撃の高度化により線的な防御では十分な反撃ができないことによるものである。敷帯陣地においては前方の警戒陣地に少数の戦力を配備し、必要であればこれを放棄し、第二の陣地で本格的な反撃を展開、面的かつ多重的な陣地防御を以って敵の攻撃を破砕する手法が確立された。